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量をやらないと身につかない。質を上げないと上に行けない。 [仕事(塾の教室長)]

量をやるか質を取るのか。

良く勉強の時に言われることだが、どっちも必要。


量をやっていくうちに、質が上がるのだ。
質を上げるために量をやるのだ。
勉強のやり方が分かっていないというが、
結局、『自覚』と『覚悟』が足りないのだ。

私はあほだったが、1日12時間くらい勉強した。
だからあほから脱却できた。
「あほだ」と『自覚』したところから、
そこから抜け出したいと思って勉強を始めた。

勉強し始めて、よりあほだとわかったし、
あほから抜け出すのは、簡単では無いんだと、
勉強し始めて早々に分かったので、
『覚悟』を決めた。

『自分は何もわかっていない』『自分は何もできない』
『このままでは自分は何もできない』

本気でそう思ってないから出来ない。

『なんとかしなくてはいけない』『このままでは生きていけない』

そう思って覚悟を決めてやるしかないのです。

その上で量をこなして質を上げていく。
勉強の仕方なんて、完璧になるまで量をこなして、
その中で質を上げていく以外に方法なんてない。
やるかやらないか。それ以外無い。

俺も頑張る。皆も頑張れ。

分からないから困る。 [仕事(塾の教室長)]

こんな更新も滞りがちなブログで、
誰かに質問を求めるなんてどうだかと思いますが、
どなたかわかる方教えてください。


なぜ、
勉強が出来る≠仕事が出来る
という人がいるんでしょう??


勉強していると、
分からないことが出てきて、それを調べると、
知識が増えて、考えるための材料が増えて、
考える材料が増えるから、正しい判断が出来るようになって、
賢くなって × ∞

って、思ってるんですが、

まぁ、上記のような手順以外でも何でもいいんですが、
勉強していく過程で、仕事で生かせることって、
勉強出来る人は、そうでない人よりも身につけるチャンスがあるように思うんですよね。
仕事と勉強の共通部分に気づかないってことですかね?
分からない。

私みたいな勉強が出来なかった人間からすると
何故そんなことも出来ないのかと思って、不思議で仕方ない。
まさに未知との遭遇です。

んー。

身も蓋もないですが、結局そういうことです [仕事(塾の教室長)]

よく、何故か自信満々に、

「私たちの時代はそんなに勉強しなくても良かった」
「私たちの時代のやり方はそうではなかった。」

という保護者様がいらっしゃいますが、
これ、本当にそうなんですか????

今の中学生の子供たちの親の世代というと、
私と同じくらいか、それよりも上の世代となります。
だから、今の中学生の親も、私も習っている先生はほとんど同じ年齢層ということになりますよね?

でも、私はこの保護者様からよく聞く、
「勉強しなくても良かった」とか、「やり方」とか、
全く持って聞いたことがないし、
そんなこと言われたこともないんですよね(苦笑)

何故なんでしょうね?

って、まぁ、答えは出てるんです。


そう言う保護者様のお子様というのは・・・。

ね、まあ、本当に身も蓋もないのですが、結局そう言うことです。


「努力しているのに出来ないんです」

いや、努力してません。
努力しているのに、何故、小学校の時に習ったはずの
割合の問題が出来ないんですか?
何故質問が、投げっぱなしなんですか?
自分で考えた後がこれっぽっちも感じられないんですか?

だ・か・ら!足りないの!
あなたの見えないところで手を抜いてるの!
男(女)と遊んでんの!

何故私から指摘されるまでそのことに気づかない。
本当に一生懸命に子供のこと見てたら気づくんじゃないの???

その程度の関心で子供をみてるんだったら、そりゃ、ね。

身も蓋もないけど、結局そういうことです。

言っておきますが、
勉強得意な子と、そうでない子がいるのは当たり前で、
全員が5教科合計400点取れ!とか思ってませんからね!

その子が出せる精一杯を出して取った点数だったら、
どんな点数でも尊いんですよ!!!すごいんですよ!
すごいな、頑張ったなってほめてあげたくなるんですよ!!

でもそうなってないし、そうする努力もしてないのに、
「何故ですかね??」って当たり前だろうが!!
ってなりますよね。

それが当たり前だってわからないってことはね、

身も蓋もないですが、結局そういうことです。

ってどういうことかわからない?(笑)

水は高いところから低いところへ流れるってことです。
この比喩でわからないなら、
別に分かってもらわなくてもいいです。はい、愚痴です(爆)



タグ:教育

何度目だろう。 [仕事(塾の教室長)]

同じことを注意されて、

直せない事はよくある。

だけど、そもそも注意されていることが理解できない、

注意されたことを覚えていない。

こういう人に、何をどう教えていいのかわからない。


いい大学を出ていても、

関係ないんだなぁとつくづく思った。

何も経験していないんだなぁと、

びっくりした。


なかなか難しいもんだ。

もう!!腹が立つ!! [仕事(塾の教室長)]

この間、塾の先生で集まって、簡単な模擬授業大会をした。

その時の出来がよくなかったので、
ちょっと落ち込んでいた。自分でも出来ていないことが分かったし、
練習もしたのに出来なくて、ショックも大きかった。

10月の終わりに大会をするということだったので、
9月の中ごろには授業案(台本のようなもの)が出来て、
それまで何度も練習をしたのに、本番うまく行かず。
自分に腹が立ちます。

さらに、
上司から「お前は練習していない。こいつらの方が練習している」
終わったあとで、「実はこういうところがよくないと思っていた」
と追い打ちをかけるように言われて、もう何とも言えない気分になった。

練習してないだと??
お前が練習してるとほめた人達は、授業案を考えてつくったのも
9月終わりか10月の頭だったじゃないか。
俺は授業案を9月中旬につくってすぐに練習をしてましたけど???
直前は確かに頑張っていた様子でしたが、練習量ははるかに上回ってましたが?
結果が出なかったら、こういうこと言いだすから本当に腹立つわ。

もう、自分に対するハードルを上げまくって、
無茶苦茶負荷かけて仕事したるわ。
文句言われんほどに仕事したるわ。

馬鹿丁寧に仕事して、絶対に見返してやる。

俯瞰してみる。 [仕事(塾の教室長)]

ブログではかなり激しい物言いをしていますが、

仕事場ではそうも行かない。

社会の授業であっても、

「何もなければ、基本的に事実をありのままに淡々と」

が基本。


事実をありのままに淡々と話すには、

俯瞰した見方が大事。

日本だけではなく、世界史の流れの中で日本を見ると

教科書だけでは見えてこない日本が浮かび上がってきます。


こういうとき、

大学で日本近現代史ではなく、東洋近現代史を専攻しておいてよかったとつくづく思います。

自然と外から見た場合の日本を意識する視点があるので、

特に教科書の記述で不備が多い「近現代」は助かりますね。

不必要なことはたくさん書いてあるくせに、肝心なことが書いていないのでね(笑)


反省 [仕事(塾の教室長)]

うーーん。

この年になってこんなことを言うのは恥ずかしいのだが、
自分の言葉の軽さを本当に反省します。

「服装の乱れは心の乱れ」

という事は中学生のころ、恩師によく言われたことです。

その時は何となくしかわかっていませんでしたが、
今はもう少し深く理解できるようになりました。

服装って、自分がその服装を選んでいるわけですから、
その服装を選んだ自分が出てしまうんですよね。
ボロボロの格好をして相手に会えば、
私の事はどうでもいいと思われている、と相手は思ってしまうかもしれない。
きちんとした格好をしている人は、そういう風にみられるだろうし、
人を威嚇するような服を選ぶ人は、そういう人だと思われてしまう。

だから服装って大事なんですよね。

で、最近、言葉もそれと同じだなぁと、
やっと感じることができました。

言葉は発した瞬間、その言葉を選んだ自分が出ているわけですね。
汚い言葉づかいや、誤解を招くような言葉づかいをした瞬間、
その人に対する信頼が揺らぎます。
また、言葉をいい加減に扱っていると、いい加減な行動しかできなくなります。

言葉は行動を縛る、とラグビーの清宮氏がどこか言っていましたが、
良い意味でも、悪い意味でも、意識してもしなくても、人は言葉に縛られているんですよね。

もっと言葉を大切に。気を付けていかないとと、最近反省することが多くなっています。


大きなお仕事終了 [仕事(塾の教室長)]

7月の後半一週間、
大きなお仕事があり、
東京にずっと詰めていた。

午前中のお仕事で、
塾の先生にとっては大変でしたが、
大切な仕事なので精魂こめてさせていただきました。


その中で感じたのは、
人との出会いの大切さです。

私は非常に運がいい人生を送れていると思いますが、
その中でも、人に関する運は、比較的恵まれていると思います。
へんてこりんな人間にも偶に出会いますが、
それは誤差の範疇で、大筋で見て大変よいと思います。
その時々で、何かの節目で、必要な出会いをしているように思います。

私の存在が、
生徒にとっても必要な出会いであったと言ってもらえるように、
これからも頑張っていきたいと思います。
タグ:出会い

殻を破るには [仕事(塾の教室長)]

国語の授業で評論を読んでいる時、
既存のシステムの中で、子供達を型にはめるということは、
創造性を奪うことにつながるなんて事が書いてあった。

子供達にも伝えたことだが、そんなこと全く無いと思う。

既存のシステムの前に壊れてしまうような創造性しかもてないのであれば、
それは創造とはいえないと正直思う。

既存のシステムに強い違和感を感じたとしよう。
そして、そのシステムに違和感を感じたことが原動力になって、
そのシステムを覆す発明をしたとする。

すごいことだ。
既存のシステムにも、それを覆す発明をした人にも
尊敬の念を抱かずには入られない。

既存のシステムの壁が高ければ高いほど、
そのシステムを覆すにのパワーはより一層必要になる。

既存のシステムが無ければ、
そもそもそんなパワーを生み出すことなど不可能ではないか。

既存のシステムの否定をしている時点で、
申し訳ないが世間や子供に迎合しているようにしか思えない。
タグ:創造 想像

よくあること。 [仕事(塾の教室長)]

中一の英語の自習の時間。

真顔で、
生徒「先生、猫って、オスメスどっち??」

コスモ「???何の話???」

生徒「んー・・・ミケかぁ・・・、あ!ミケやから三毛猫でメスや!!!(ご満悦の様子)」

コスモ「???」

生徒のノートを観たら、

Mikeって書いてあった。

それはマイクだ。
外人でたぶん男だ。
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